2011
2011.10.31
深沢
写真店に勤務の時はほとんど毎日、森の中で一人で昼食を食べている。
家庭を持ってから一人の時間を過ごすことがめっきり少なくなったため、
この昼休みの1時間は僕にとって貴重な時間なのだ。
森というと、もの凄い山奥に思われるかもしれないけれど、商店街から車で5分ほど県道を行き、ちょっと横道にそれると、この場所に辿り着く。
車を止め沢の奥へと入り込んでゆくと、ある点から、
県道を走る車の走行音がフッと川のせせらぎの音に変わる 場所がある。
そこが外界との境界線だ。ちょっとしたひみつ基地気分。
だけど同時に僕のなかに強い緊張感が生まれてくる。
実はちょっと怖いのだ。
さっきまでパソコンに向かって仕事していたYシャツ姿の僕が、今は深い森の中に居る。
マムシを危うく踏みそうになったことや大きなイノシシが目の前を猛スピードで駆け抜けていったこともある。
僕は内心ビクビクしながらも日だまりを見つけるとホッと息を吐き弁当を食べ始めた。
次の瞬間ふと顔を上げると、向かいでカマキリが大きな目でじっと僕の方を見つめていた。
なかなか一人にはしてくれないようだ。
でも、そんなこの場所がすごく気に入っている。
2011.09.21
父の車
父から車を譲り受けて二年。最近ようやく慣れてきた。
学生時代に免許を取ってからと言うもの僕は、オンボロの「商用車」を乗り繋いできた。
燃費がよく、廃材、薪運びに最適、ドロだらけの犬が乗っても気にならない、タダでもらえる事が多い…etc
とにかく僕にとっては実用的で効率の良い車だったのだ。
ところが子供が生まれて状況が変わった。
商用車は大抵後ろの席がベンチのようになっていて、シートベルトが無く、
チャイルドシートが付けられない。
仕方なく助手席に子どもを乗せるも、ディーゼルエンジンの音がうるさすぎて、
子どもが寝付かず、延々と泣き続け目的地に着いた頃には妻も僕もへとへとになってしまっていた。
お気に入りだった商用車にも限界を感じ始めていた。
そんなときに、父から車を譲りうけた。
その車は丁度姉が就職し僕が大学に入学したころに、満を持して10数年ぶりに買い換えた車だった。
元々、車好きだった父。
毎月車の雑誌を読み込んでは、小学生から高校卒業まで僕に新型車のエンジンについて講釈をたれていた。
サラリーマンの父にとって、僕と姉の学費、マンションのローンも残る中、
新しい車は本の中だけの世界だったようだ。
だから父からうれしそうに「車を買ったぞ」と電話が来たときは、「あーよかったな」と心底感じた。
その車は父がずっと憧れていた「VWゴルフ」。外車と言えど決して高級な部類ではなく、本国ドイツではタクシーに使われているような車だ。そんな車を選ぶのも父らしいなと思った。休暇で実家に帰ると、仕事の休みの度に洗車に付き合わされ、夜は必ずドライブで、延々と車の自慢話を聞かされた。
僕がもらったのは、父がそれほど溺愛していた車だった。
譲り受けた当時既に10万キロは超えており、年式もまる七年が経っていたにもかかわらず、中も外も新車と見間違うかのようにきれいに保たれていた。
車はぼろぼろになるまで使い込む生活道具と、とらえていた僕にとって、父の車は正直重荷だった。
新車のようだった車は、程なくして娘が食べ散らかしたパンくずだらけ、犬の泥だらけ…。砂利道、藪道に囲まれている我が家、外装はあっという間に傷だらけ…。
父に申し訳ないなと思いながら、きれいに乗ってるよ!と電話で伝えていた。
ところが、正月に実家に帰省してモノの数ヶ月でドロだらけ、キズだらけになった元愛車を見て父は絶句。帰省する度、
「大切に乗ってきた車をおまえはなんてことするんだ」とちくちく言われ、
こっちもこっちで、
「車ごときのために今の生活を変えるつもりはない!」と突っぱねる、を繰り返すようになった。思えばこんな親子げんか、僕の進路を決める時や、大学卒業後に写真の道に進むと伝えた時以来だ。
何を言われても決して曲げなかった僕に、ある時から父は何も言わなくなり、応援してくれるようになった。
車を譲り受けてから数年。車は相変わらずドロだらけだし、キズも年々増えている。
だけど最近、父はもう何も言わなくなった。
2011.05.21
映画とこども
子どもが生まれてからというもの、映画をまともに見れたためしがない。
はなが大きくなり、ようやく映画館に行けるかも、と思った矢先、
二人目のはるが生まれ、映画はまた遠ざかってしまった。
とそんなとき、娘が通う幼稚園の先生のうれしい計らいで、
町の公民館の和室を借りて、子ども同伴映画館が一日限定で開館した。
(内容は原発関係のドキュメンタリー)
上映会に来ていたのはほとんどが子連れで、子どもたちだけで、15、6人いた。
はじまりこそ、子どもたちは母親の周りでじっとしていたけれど、
時が経つごとに一人、二人と外へ出て行く。
1時間あまりも経つと子どもたちは数人しか部屋に残って居なかった。
そんなとき妻が生後二ヶ月のはるのおむつを替えに外へ出た。
しばらくして、戻って来た妻を見ておどろいた。腕にはるを抱いていないのだ。
「5年生のmちゃんが見てくれてて、なんか大丈夫そうだよ」妻は言うが、
さすがにはるはまだ二ヶ月、面倒をみているのは5年生と言えど子ども。
やっぱりちょっと不安だ。そこで様子を見に外へ出てみた。
節電で薄暗い廊下を走り回る子どもたち。
そんななか、mちゃんがしっかりはるを抱いてあやしてくれている。
はるもぐずったりする様子はなく、むしろれしそう。
周りではaちゃんとaくん姉弟をはじめ、数人が取り囲みサポートしてくれている。
「大丈夫、映画見てきていいよ!」
小さなはるを中心に子どもたちは、少し得意げに僕の背中を上映室の方へ押す。
まぁ大丈夫か…。なんだかそう思えた。
それに子どもだけのその世界に、もう大人の居場所はなかった。
結局僕は彼らに任せて映画に戻ることにした。
だけど本当は、もう少しだけ彼らの姿を眺めていたかった。
2011.04.01
2011.3.11 18:29
2011.3.31
朝、妻がおなかが痛いと言う。
ついに今日くるか?
二人目を妊娠中の妻のおなかは、赤ちゃんがもういつ生まれてきてもおかしくなかった。
期待して病院に来たものの思ったほど陣痛は強くない。
助産師さんが「帰る?、入院する?もし入院して生まれなかったら、お金掛かっちゃうよー」
そんなことを笑いながら話していると、「いたーーい!!」
妻が急に叫び声を上げた。
和やかに話していた助産師さんの顔つきもすでに変わっていた。
助産師さん:「ここで(検査室)産んじゃうか…、イヤやっぱ分娩台いこっ、もうちょっと我慢して!」
妻:「むりむり、ムリーっ!おさえてー!」
助産師さん妻を無視:「だんなさん!持ち上げてっ!!」
3人がかりで妻を車いすに乗せたかと思うと、
分娩室へ勢いよくいすを走らせた。
「ほら、だんなさん(分娩台に)のせるよ!手伝って!せーのっ」
早い…。
妻の変容ぶりもだが、それを上回る助産師さんの対応の早さ、さすが!!
今まで見たこともない鋭い目つきでうめく妻に、冷静に声をかけ続ける助産師さん。
それから数分…、「よーし、でてきたぁー!」
助産師さんがへその緒が付いた赤ちゃんをそのまま、妻の胸元におく。
さっきまで、けもののようだった妻の表情はみるみるうちに緩んでゆく。
そして、分娩室を拍手とあかちゃんの泣き声が包んでいった。
ふと気がつくと、カメラをのぞいていた僕の目は涙でいっぱいだった。
必死に命を産み落とした妻と、冷静にそれを取り上げてくれた助産師さんごくろうさま。
2011.03.09
イイダ傘店
イイダ傘店 展示会+アイスクリームMOMO密着撮影。 in アノニマスタジオ
ここにくるお客さんは若いおしゃれな女性が大半かと思いきや、通りがかりのおばあさんや、年配の紳士、下は赤ちゃん、妊婦さん(僕の嫁ですが)も。
ぽかぽか陽気の日曜日、傘店スタッフの説明に真剣に聴き入る人、アイス屋MOMOでうれしそうにアイスをなめてる人、即興演奏を始める人、それぞれ自分なりに展示会を楽しんでいる。
「あー、時間があっという間に過ぎていく…」
久しぶりにそう思った。
仕事をしながらそう思えるなんて、すごくうれしい瞬間だ。
そういえば以前、イイダ傘店の店主、飯田くんは言っていた。
「どうやったら人が笑ってくれるか、いつもそのことばかり考えてる…」
なるほど、ぼくは彼の演出にすっかりはまってしまったようだ。
そして、あのときあそこに来ていた人たちもきっと…。
イイダ傘店「平成二十三年・春」の日傘展示受注会 各地を巡回しています。