2013
2013.10.11
家族に会いに。
山梨で発行されるある誌面で、好きに使わせてもらえる写真の連載ページを1ページいただいた。
それは僕にとって願ってもないうれしい話だ。
ただ、「好きにしていい」そう言われるといろんな思いが頭を駆け巡る。
「風景」、「物作り」、「建築」、「アート」…。
夜な夜な考えた結果、結局「家族」に行き着いた。というか戻った。
写真を始めた時から「家族 」はずっと撮り続けて来ていた。
だけどいま、ちゃんと家族に目を向けられているかというと…。
自分自身、結婚して、子どもが出来て、成長して、
抱えるものが少しずつ大きくなって来ている。
時々、それが重荷だったり煩わしくも感じることも正直ある。
だけど家族に生かされている自分も確実にいる。
そんな今、いろんな家族の風景を見てみたいと思ったのだ。
そして今日、初めての撮影をしてきた。
2013.05.24
島の顔 伊是名島の人たち。Vol 2
『島に生きるということ。』
「おはようございます。何してるんですか?」
宿を出て、初めて出会ったのが縁側で作業をしていたこのおじいさんだった。
僕の問いに答えずジロリとこっちを見て、すぐに自分の手元に目を戻してしまった。
返事がないのは、「邪魔すんな、あっち行け」の合図。
普通だったら、ここで引き下がる。
でも、なんだかすぐにそうする気にはなれなかった。
それは、おじいさんのすぐ横に碁盤が見えたからだ。
伊是名の集落ではほとんどの家の縁側に碁のセットやお茶が入ったポットが置いてある。
それは、いつでも縁側に座ってお茶を飲んでいってくださいね。碁でもうちながら話ましょう。のサインなのだそうだ。
それでも内心、あっち行け!と怒鳴られるのでは無いかとドキドキしながら、おじいさんのもとへと近づいてゆく。手元をのぞき込む僕を気にする様子はなく淡々と作業を続けている。
家の中には酒瓶やたばこの殻が転がっていて、お世辞にもきれいとは言えない。
それとは裏腹に慣れた手つきで淡々と網を編む指先はとてもきれいだった。
「東京か?」
手元に見とれていると、おじいさんのほうから話しかけてくれた。
「長野からです」そう言うと、顔が急にやわらいだ。
昔よく富士山や八ヶ岳、北アルプスに登ったのだそうだ。
若い頃は内地(本州)の山に登る事だけを楽しみにして仕事をしていたという。
さっきまでの憮然とした様子が嘘のようにおじいさんの話は止まらなかった。
そして、大事そうに柱に貼り付けてあった一枚の葉書を見せてくれた。
それは内地に住む姪子さんが送ってくれたのだそうだ。
絵はがきには紅葉で色づいたイチョウ並木が写っていた。
「いつかまたこんな場所に行ってみたいな」おじいさんはぼそっと言った。
なぜ、そんなことを言うのだろう?
イチョウ並木なんて日本中何処にでもあるありふれた風景だ。
その時、高校生の時に初めて見た東京の風景が頭をよぎった。
見上げもてっぺんが見えないくらいの高層ビル、ものすごい人の波…。
北海道から来た僕には同じ日本とは思えなかった。
紅葉したイチョウ並木もイゼナに長く暮らすおじいさんにとっては異国の風景なのだ。
日本は広い。そして「島」で生きていくということの意味をおじいさんは少しだけ教えてくれたのかもしれない。
http://www.shimanokaze.jp/
上記「伊是名 島の風」のHPで10日に一回くらいのサイクルで私が撮影した伊是名島の写真が掲載されています。是非ご覧下さい。
2013.05.16
黄色い迷路
家のすぐ敷地に面している畑が一面、ちょうど菜の花で覆い尽くされている。
まさに黄色い絨毯。
でもこの畑、ウチの畑じゃない。ご近所さんの畑だ。
この黄色い花の中に入ったらきっと楽しいだろうなといつも横目で見ていた。
今日の夕方、娘のはなと紙飛行機を外で飛ばして遊んでいた。
昨晩、いろんな種類の飛行機を作って外で飛ばす約束をしていたのだ。
するとはなが菜の花の畑に向かってしきりに飛行機を飛ばそうと している。
しかも一番飛びそうなやつを。
「そんなことしたら菜の花の畑に入っちゃうよ」と言ってもやめない。
案の定、飛行機は菜の花畑のなかに入ってしまった。
その時、はながニヤっと笑って言った。
「紙飛行機入っちゃったから、畑に入ってとってくるね」
そうか、はなもこの菜の花畑の中に入りたかったんだ。
そして、あっという間に黄色い迷路の中に消えていった。
2013.05.09
小俣さんの作品
先日、静岡の富士市で農業を営んでいる小俣さんが遊びに来てくれた。
その日一日の仕事を終えた彼が、車を飛ばし我が家へ着いたのは夜の8時すぎ。
どっさり持って来てくれた新鮮なおいしい野菜を食べながら同年代の彼と僕と妻の3人は自然と話が弾む。
ただし、あいにく次の日、僕も妻も朝が早かった。
彼も仕事のあとに長時間運転をして来て疲れている様子。
一緒に居られる時間を惜しみ ながらもそろそろ寝ようと思ったとき、
彼が持って来た甘夏をごろごろと机に転がした。
何気なくむいて食べてみたら、これが甘酸っぱくてものすごく美味しかった。
ごつごつした皮肌のなかにみずみずしい果肉。
これは彼が作り上げた作品なんだ。そう感じた。
あれから数日たった今も、置いていってくれた甘夏を食べる度、
彼の日に焼けた顔と、もじゃもじゃの髪の毛が目に浮かんでくる。
そしていつか、彼が「作品」を生み出す場所を訪れてみたいと思った。
2013.04.30
小さな大きな森。
仕事の事情でしばらく八王子の事務所(妻の実家)で過ごしている。
実は事務所の目の前には長沼公園というちょっとした広葉樹林の森が広がっていて、そこで毎朝雨太郎(犬)の散歩をしている。
今日もいつも通りオシッコとウンチをさせて即戻ってきた僕に、業を煮やした義父が「オレが長沼公園を教えてやる」と一言。
遊歩道をはずれ、初めて通る細道を義父と雨太郎の背中を追いかけ上へ下へと歩く歩く。
谷を越え川を渡り、竹林を抜け…、この森にこんな場所があったとは。
一時間くらい歩いてようやく見慣れた道に。
汗だくで息を切らしながら彼らの姿を探すと、すでに玄関に入って行こうとするのが遠くに見える…。
義父の背中越しに歩くこの森はなんだかとても大きく感じた。
2013.04.19
棟梁の鉋
先日、京都の美山に取材に行ったときのこと。
お会いした伝統軸組工法を実践なさっている大工の棟梁にお会いした。身体は大きくがっちりしていて腕も太い、これぞ「男」というような存在感。
「大工で俺が一番腕がいいんだ」と堂々と言い放つだけの徹底した家造りと環境に配慮した活動を全身全霊でなさっている。
取材中ご本人の写真はほとんどとらせてもらえず、「最近の男は中性的で根性がない…」というようなライターさんと話す声も 横からもれ聞こえてくる。
カメラマンのくせに優柔不断で誰にでもしっぽを振る僕とは全く対照的な存在。
きっとよく思われて無いのだろうなと思っていた。
ところが取材後、棟梁に「これ使え、やるから」と鉋を手渡された。
??
なぜぼくに??
それより何より素人の僕が本物の棟梁から大工道具をいただくなんて畏れ多い。
すっかり動揺しながらも結局いただいて帰って来てしまった。
なぜ鉋をくれたのか?
これから長野の自分の暮らしの場にこの鉋を置いて、その答をじっくり探ってゆきたい。
2013.03.12
島の時間 vol1
沖縄県の北方にある島、伊是名島。
その島で島おこしをしているNPOがある。
納戸義彦さんが代表を務める「島の風」。
「島のこしが島おこし」今島にあるありのままの日々の営みを大切に残してゆく事こそが、
一番大事な「島おこし」という。
詳しくは、http://www.shimanokaze.jp を是非ご覧下さい。とても素敵な思いで島おこしをなさっています。
納戸さんから去年の9月、島に写真を撮りに来ないかと誘われた。
撮影の目的は「島の風」が行う「島あかり」というイベントのドキュメントが主だった。
だけどもう一つ撮ってほしいものがある、納戸さんは言った。
「島の人々のありのままのいとなみ、おじいおばあの笑顔も是非写真に残してほしい」
どんな人がどんなふうに暮らしているんだろう?
その言葉に気持が高ぶった。
こうして実際に集落を訪ね撮らせてもらった写真が「島の風」のHPのトップにひと月に三枚ずつ掲載されていきます。
トップに掲載された写真について私のブログでも、言葉をそえて順次アップしてゆこうと思います。
『島の風 VOL1 3/1~3/10』
【ふたり乗り】
伊是名小学校で放課後の子どもたちの様子を撮影していると、次第に雨が降り出した。
グラウンドで遊んでいた子どもたちも、ちらほら帰り支度を始めている。
僕もそろそろ帰ることにした。
写真を撮らせてくれた子どもたちに別れを告げながらバイクにまたがろうとした瞬間、
「ねえ、乗せてってよ」一人の男の子が服を引っ張った。
「おじさん、どうせイゼナ(集落の名)までもどるんでしょ?おれんちもあっちだからさ、いいでしょ?」
「えっ?」言葉を疑った。
『知らない大人に付いて行ってはいけません!』
僕が小学生の時は毎日のようにそう言われ続けてきたからだ。
これって日本全国共通じゃないの?
いくら島だと言っても、よそから来た知らない大人が小学生を連れてバイクで走るなんてことはたからみたら…。いろんな思いが脳裏をよぎる。
「やっぱダメダメ!歩いて帰りな」
そう言ったもつかの間、彼はもう僕の後ろにピッタリくっついていた。
僕は戸惑いつつもなんだかうれしかった。
一緒に居た時間はほんのちょっとなのに、もうこんなに信用してくれている。
小雨交じりの風を切りながら家の近くまで数分間のドライブを楽しんだ。
別れ際、写真撮らせてほしいと頼んでみた。
すると、学校ではおどけてまともにカメラに写らなかった彼が、
真っ直ぐにこっちを見つめた。
ふたりで走った家までの数分間、僕らのあいだで何かが変わった。そんな気がした。
http://www.shimanokaze.jp/
2013.03.04
写真家 武藤盈さんのこと
僕が暮らす長野県富士見町の信濃境駅周辺(通称さかい)の村人の日々の営みをありのままに撮影し続けた写真家がいた。その人は武藤盈(みつる)さん。
僕がさかいに引っ越してきた3年前に当時の区長さんが、近くの集落に住んでいるという盈さんの写真集「昭和30年代 農山村の暮らし」(農文協)というぶ厚い写真集を貸してくれたのが最初の出会いだった。その写真に写る人や風景はとても温かく、人々が春夏秋冬 前向きに生きる様子が写し撮られていた。
この写真を撮った人に一度会ってみたい。近所の人に頼んで武藤さんのお宅にお邪魔したのが去年の11月の終わり頃だった。
風邪気味にもかかわらず写真の話やおいたち、世間話などたくさんの話をしてくださった。そして近々本を出版するとも。とても99歳とは思えない意欲にすっかり圧倒されてしまった。
それから数日後、沖縄の離島での撮影を終え、長野へ戻る途中に知人から武藤さんが亡くなったとの連絡があった。
当に、武藤さんを思いながら沖縄の離島で人々の営みを撮影した後だった。
それから、武藤さんと通じていた何人かが集まり写真展を開くことになった。とても追悼展とは呼べる代物では無いにせよ、
少しでも多くの人に武藤さんが見つめた美しいさかいの営みを感じてもらいたかった。
そして、ここ「さかい」がこれからも素敵な場所であってほしいという願いも込めて。
(今回の展示は終了しましたが、またかたちをかえて写真を見ていただく機会を作ってゆくつもりです)